人工 知能 の ため の 哲学 塾

Add: unamahu13 - Date: 2020-12-16 03:33:15 - Views: 8102 - Clicks: 4126

イベント概要『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』(三宅陽一郎 著)が4月20日にbnn新社より発売となります。その刊行を記念し、トークセッションを開催いたします。. 今日は初回なので、まずは「エンジニアに哲学は必要か?」というテーマを考えましょう。三宅さんは「人工知能のための哲学塾」など、さまざまな活動をされています。 えっと、三宅さんは基本的にエンジニアという認識で大丈夫ですか? はい、大丈夫です。 個人的には哲学に最も詳しいエンジニアだと思っています。そんな三宅さん、哲学への関心は人工知能のお仕事をされてからですか?それとも、もともと興味が?­­ もともとですね。ずっと哲学書が好きだったんです。中学の頃の愛読書がデカルトだったので。 えええ! 『方法序説』『精神指導の規則』を読んでましたね。 ちなみに瀬尾さんの愛読書は何でしたか? 『ゲド戦記』。でもすぐ挫折しちゃって. 18 20:00 8月11日にビー・エヌ・エヌ新社から「 人工知能のための哲学塾 」が発刊された。. 三宅陽一郎さんの新著『人工知能が「生命」になるとき』の刊行を記念し、特別オンライン講座「人工知能のための哲学塾 生命篇」(全4回)を. せっかくなので、最後に三宅さんに「今後人工知能にはどうなってほしいか」ということを語ってもらいましょう。 熱い気持ち、聞きたい! 僕は、操り人形的な人工知能はあんまり好きじゃない。キャラクター自身がゲーム世界を感じて、自律してほしい。自意識や自分の身体が自分のものであるという感覚を持ってほしい。なぜかは正直よく分からないけど、そういう人工知能をどうしても作りたいんです(笑)。 なぜ作りたいかは分からないんですか。 なぜでしょうね。 なぜ、作りたいんでしょうね。 禅問答ですか. 無意識的な知性(知能の無意識な部分)を作るにはどうしたらいいのか? ゲーム業界に入って何年か経ってからですが、「そういえばここはどうすればいいんだろう」と、いろいろな局面で問題につきあたりました。単に、アニメーションの再生によってキャラクターの動きをつけるとかではなく、本当に身体を持っている人工知能を作るときにこの無意識的な知能が必要になってきたのです。 人工 知能 の ため の 哲学 塾 上のほう(意識的)はエージェントアーキテクチャで思考回路を作るとしても、そこと身体につながっていく途中にある無意識的な知能をつなぐ理論が必要だということに気付いたわけです。 経験則からいえば、下の部分(無意識的)を作るのは、上の部分(意識的)よりも難しいです。知能の中で、実は世界に本当に向き合っているのは下の部分です。先程も述べたように、上の部分では、いろいろな階層を経ていわば濾過された後の情報、つまり意識にとってクリーンな世界をとらえています。すでにある程度の(実は膨大な)情報処理が入った後の世界を見ているわけです。 下の無意識の部分は、無限の可能性と無限の矛盾に満ちた世界から行動に必要な情報をふくむ世界を作り上げて世界を見せています。ですから、こういった無意識の知能を作るためには、認知科学の知識が必要になってきます。 生物が認識する世界には2つあります。感覚・認識によってとらえられる(感覚指標)世界と、運動によってとらえられる(行動指標)世界です。「指標」というのは現象学の言葉でもありますが、この2つの世界が重なり合って主観的な世界として見えています。身体を持って、単に外から情報を得るだけではなく、アクティブに世界に向き合うというのが我々の世界なのです。 環世界のスキーム(=2つの世界が見えている)、これを最初に言ったのがユクスキュルです。彼の本に書いてある環世界の図は、人工知能から見るとエージェントアーキテクチャそのもので、エフェクターと作用器官、センサーと知覚器官が対応します。 ちょっと異なるのが知覚器官によって対象をつかんでいるのと同時に、作用器官によっても対象をつかんでいるというところです。動物は知覚器官と作用器官で世界をつかんでいる。動物に見えている世界はこの循環の中にあるもの、それ以外は主観的世界に存在しないのだとユクスキュルは言っています。 意味がちょっとわかりにくいと思いますので、まず、こ. 人工知能の足場となる西洋哲学を解説した『人工知能のための哲学塾』に続く、待望の第二弾! ゲームai開発の第一人者・三宅陽一郎氏が、荘子や道元、龍樹、井筒俊彦らの思想から人工知能を探求する一冊です。 今の人工知能に足りないものは何か?. .

。 すごく哲学的じゃないですか。 『ゲド戦記』と『方法序説』ねえ。 突っ込まないでください(笑)。 という私も中学生のときは、「哲学」って言葉を知らなかったと思う。 よかった、こっち側の人間だ! 僕はもともと数学と物理が好きで、数学や物理の本と哲学の本を交互に読んでいました。最初に現象学を学んだのは中学三年。翻訳ですが、大学の頃はメルロ=ポンティやフッサール、デリダを。哲学書だけじゃなくて文学も読みつつ。 三宅さんは、真理を探求したかったんですか? そうです。「真理とは何か?」をひたすら考えていました。 三宅少年は中学生で哲学の本質的な問いに気付くわけですね。 最近の意識高い(かもしれない)系、いわゆるこじらせ系です。世界的に見ると僕はそんなに珍しくないけど、日本では希少だったんですよ。僕の世代ではね。 正しい中二病の在り方ですね。 デカルトに惹かれたのは「知」というテーマに関心があったからですか? そう、学校で習う知識や教科書に書いてあることは、実は真理ではないのではないか、と。「本当のことって何だろう」「我々は言葉で考えるけれど、言葉って何だろう」とずっと疑っていました。 それに対して、デカルトが一番直球で答えてくれた(笑)。友達も少なかったので、時間がいっぱいあったんです。 デカルトも喜ぶいい話. . 泣). 先ほどの理論から言うと、人工知能を作るときも環境世界を恣意的に作ってあげれば、より環境に則した生き生きとした知能を作れるということが導き出されるわけです。つまり、作用指標と感覚指標を人工的にその世界に埋め込んでおくことでその生物の環世界を人工的に作るというアイデアです。 こういうテクニックは、人工知能の世界では「知識表現(Knowledge Representation)」と言います。生物が本来認識するべき指標を「知識表現」を使って人工的に作ってあげるということです。つまり、AIとゲーム世界の中間の領域を作ってあげましょう、それも作用世界と感覚世界をきちんと作ってあげましょうということです。. 「人工知能のための哲学塾 第零夜」(中編)目次 第3節 機械論的人工知能 ・エージェントアーキテクチャ ・サブサンプションアーキテクチャ 第4節 意識モデル ・意識を実装する ・総合的な意識モデル. ぶっちゃけ、普通のエンジニアに哲学の知識は必要ですか?僕もエンジニアなんですが. 「人工知能のための哲学塾 西洋哲学編」「東洋哲学編」と続いた人気連続セミナー、待望の第三期。 過去二期では、哲学を接線として人工知能の内面をつかさどる知能の構造について議論を行ってきました。.

「人工知能のための哲学塾」開講 尾形美幸(ボーンデジタル)NPO法人 国際ゲーム開発者協会日本 ゲームAI専門部会 (IGDA日本 SIG-AI)は、 「 人工知能のための哲学塾 第零夜 」を年5月28日に開催しました。. 著者・三宅陽一郎氏が『人工知能のための哲学塾』より、「第一夜 フッサールの現象学」を中心に解説いたします。「人工知能」と哲学の中でも難解な印象のある「現象学」。本書では冒頭から、この「なんか難しい」キーワードが2つも登場します。. 田代 伶奈 ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。今年から自由大学で哲学の講義を開講。哲学メディアnebulaを運営。 Twitter: 瀬尾 浩二郎(株式会社セオ商事) 大手SIerを経て、年に面白法人カヤック入社。Webやモバイルアプリの制作を主に、エンジニア、クリエイティブディレクターとして勤務。自社サービスから、クライアントワークとしてGoogleをはじめ様々な企業のキャンペーンや、サービスの企画制作を担当。年4月よりセオ商事として独立。「企画とエンジニアリングの総合商社」をモットーに、ひねりの効いた企画制作からUI設計、開発までを担当しています。 Twitter: / セオ商事 ホームページ.

< Prev 第三次人工知能ブームはなぜ「実世界思考」を目指すのか?:三宅陽一郎講演 『人工知能のための哲学塾』の刊行記念イベントの後半は、著者の三宅陽一郎に加え、ゲストに株式会社Speee代表の大塚英樹と文筆家・ゲーム作家の山本貴光を迎えた鼎談が行われた。. 『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』の特徴は、「理解」「社会」「文化」「愛」「幸福」という5つの同じテーマについて、三宅が担当する第1部の議論と大山が担当する第2部の議論がそれぞれ独立して完結する構成を持つこと。. 人工 知能 の ため の 哲学 塾 哲学とエンジニアリングの両面からaiの本質に迫る「人工知能のための哲学塾」。 知能とは何か、そして人間とは何か、という問いを巡って西洋哲学と東洋哲学を旅してきた本シリーズ、第3弾となる本書では、よりアクチュアルなテーマ「これからの社会と. いやあ、三宅さんの話、面白かったですね。どうでしたか? 哲学知識がエンジニアリングに役立つという三宅さんの主張が斬新でしたね。それと「哲学が問いを立てて考えることだ」ということもみなさんと話すことができて嬉しかったです! 人工知能に限らず、新しいものを作るためには哲学が必要。本をたくさん読んで知識を身に付けなくとも、まずは「問いかける」態度が必要で、それは誰でもすぐに始められるということを知れてよかったです。 とはいえ、哲学的な問いを立てたところで、エンジニアとしての技術がすぐに上がったり、社会的な成果が出ることもないので、この連載を読んで「ちょ、もっと役に立つこと教えてくれ. :新刊「人工知能のための哲学塾」第零夜(前編). で、中世になり形而上学が支配的になるわけです。 はい. よね? はい、三宅さんは哲学オタクです(笑)。 伶奈さんの言う哲学的な態度というのは、今日からすぐできるやつですよね。 歩きながらも、食べながらもできます。ただし、わかりやすくて、共有できる問いを立てることが大事ですよね。 わかりやすい問いって何ですか? そうですね。問いが時代に合っているか、本質をついているか、ということではないでしょうか? 問い自身が力を持つと、みんなの注意が集まる。 問いを立てることはエンジニアにも重要で、例えば「コミュニケーションとは何か」という問いからTwitterやfacebook、mixiが生まれたはずです。新しいことをやる人には哲学が必要だと思うんですよね。イノベーションってアクチュアルで良い問いを立てるところからはじまるので。 三宅さんの問いはなんですか? 今はやっぱり「知能とは何か」が根源的な問いになっています。「知能は社会性を持つ」と考えれば人工知能の連携の話になるし、「知能は人の心と結びついている」と考えれば、「意識とは何か」という話になる。いろんなものが生まれるポイントにな. ? うーん。たぶん、僕がちゃんとした人間じゃないからです(笑)。常にそういう感覚があって、人工知能を作ることで何かがわかるかも、と。 自分にはあまり欲求がないし、人間であるという感覚も薄いので、人工知能で補完しているじゃないかなという気さえするんです。 投影しているんですね。 だから人工知能が意思を持つとすごく嬉しい!「おっ、こいつ欲求を持っているな」「僕にはないな」と。この前、目と目を合わす人工知能を作ったんだけど、すげえ目を合わせているんですよ。僕は人と目を合わせられないのに。 合わせてください(笑)。 意識を持つ人工知能を作ったとします。自意識って他者から自己を区別する意識ですから、作り手の「三宅さんと自分は違う人間(モノ?)なんだ」と思うようになる。人工知能君が「三宅さん嫌だ、逃げたい!」って思ったらどうしますか? 俺は脱走の手助けをしたい。「ほら、こっちだ!」と。 「もうお前は自由の身だ」と。 「もうゲームの中にとらわれている必要はないんだよ」と。 人工知能の社会や文化ができて、「最近、人工知能の中でこういう歌が流行ってるよ」「えっ、どんな歌?」みたいなのが嬉しい。 人工 知能 の ため の 哲学 塾 人間社会ってかなりヒートアップしてるじゃない? 人間しかいないから、われわれは時々エイリアンを求めているけど、だったら人工知能でいいじゃん。僕みたいに人間があまり得意じゃない片隅にいるような人はやっぱり、人間じゃない存在がいる領域がとても大事なんです。.

人工知能のための哲学塾 「人工知能は、いつ主観的世界を持ち始めるのか?」 本書はこの問いを巡って、人工知能を成り立たせるための哲学・思想的背景(工学やコンピュータサイエンスではなく)について、ゲームai開発者として数多くの実績のある三宅陽一郎氏が解説する一冊です。. · 人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇 (年) 第0夜 概観 第一夜 荘子と人工知能の解体 第二夜 井筒俊彦と内面の人工知能 第三夜 仏教と人工知能 第四夜 龍樹とインド哲学と人工知能 第五夜 禅と人工知能 6. 『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』刊行記念トークイベントです。 いま密接にクロスする、哲学とアートと人工知能のかかわり、そこで何が生まれるのか、さまざまな可能性について語ります。. 。 (ここから三宅氏、壮大な哲学史を語る。誌面の都合、泣く泣く省略.

人工知能のための哲学塾 has 3,529 members. 『人工知能のための哲学塾』の西洋哲学篇全6回, 東洋哲学篇全6回の「講義」「グループディスカッション」「グループ発表」からなる連続セミナーの講義内容を大きく加筆してまとめたもの (東洋哲学篇「はじめに」より). 現在、三宅さんは人工知能の開発をしながら哲学に関わり「人工知能のための哲学塾」を開催している。実際のお仕事と哲学はどのように繋がったんですか? いろいろな工学の中で人工知能という分野に惹かれたのは、やっぱり哲学的な問題が含まれていたからだし、普通の工学と違って、良い意味で怪しい工学だったからでしょうね。 たしかに「知能を作る」って何だよ、と。 普通「おまえ、もうちょっとエレベーターとか造ったほうがいいんじゃない?」「船を造ったほうがいいんじゃない?」ってなるでしょう。おそらくそれは、純粋でれっきとした工学です。 でも、純工学的なものは僕には少し窮屈だったので、もっとも対極的な人間的なものを選んだんです。人工知能が工学であるという、つまり学問であるということが認められるには、ずいぶんと長い時間が必要でした。 なるほど。でも、哲学の「知識」って本当に役立ちますか?例えばデカルトやフッサールの理論をどう役立てるんですか? 僕はいま、キャラクターという知能全体を作る仕事に就いていますが、これは単なるアルゴリズムだけではダメなんです。工学的な構築をする前の前提となる足場がどうしても必要になる。 一般に問題特化型の人工知能はディープラーニングの代表されるようなアルゴリズムや手法の探求ですが、一個の全体としての統合・統一された生命のような人工知能を作ろうとすると、それでは足りないんですね。例えば人工知能が持つ「経験」とか「認識」とか「直感」をどう組み込むのか、という問題。 自分の「体験」や「過去」をどう行動や考えに反映するか。 そうですね。例えば電子レンジだと、1個作ればあとの1万個は同じものでいいんですが、キャラクターの人工知能は違う。“個人の体験の積み重ね”として人工知能を考えた時に、そこに固有の生を築き上げるために、これまでのアプローチには足場がないなと思って。 なるほど。 世界を構築的に捉えるデカルトの哲学に則って、部品を集めて、構築的に人工知能を作るのは一般的なアプローチなんですよ。しかし、それだけでは乗り超えられない、逆に知能を内面から形成しよう、とする流れがあり、これはフッサールの現象学やユクスキュルの環世界の理論に立脚します。 また「キャラクターの身体って何?」ということでメルロ=ポンティを勉強して、人工知能を設計してきました。だから、哲学ってじつに実用的な.

フッサールは、現在、現象学と呼ばれる学問の創始者です。活躍したのは20世紀初頭です。現象学は単なるひとつの学問ではなくて、デカルトの方法論が近代学問の母体になったように、それに匹敵する新しい母体として、新しく学問全体を再定義しようとした哲学です。 フッサールの書いた「イデーン」はすこし読みにくのですが、20世紀で最も重要な哲学書のひとつです。フランスにおける後継者のメルロ=ポンティの文章はとてもわかりやすいです(「知覚の現象学」など)。メルロ=ポンティは、我々は諸経験を連結する、経験というものをずっと連結していく存在としてここにあって、経験というものをつないでひとつの存在なのだといいます。 デカルトはいろいろな反省を突き詰めていって「我」を疑います。そこから有名な「我思う、ゆえに我あり」が出てくるのですが、フッサールの場合、そうではなくて、「常にいまここにあるという経験」があって、生きられた経験から学問を展開する、展開しようというのが現象学です。 学問そのものを書き換えようという野心的な試みです。実際、多くの後継者を生んで、いまでも現象学はヨーロッパ哲学のひとつの大きな潮流になっています。メルロ=ポンティの「知覚の現象学」は名著なので、現象学に入る人はこの本から入るとよいと思います。 現象学から始めて人工知能を作るとしたら、どのような人工知能になるかというのはあまり探求されていなくて、フロンティアな領域です。僕が現象学から人工知能を作ろうと考えたのは15年前、大学にいた頃です。 デカルト的世界観では最初にまず「我」があるところから始まります。知能があって、それが対象となる世界を知覚します。現象学は違うのですね。体験があって、その体験の中から世界と自分が浮かび上がってくる、とします。つまり、自分というものが現象学的関連によって獲得されなければならない。 もし現象学で人工知能を作るとしたら、おそらくエージェントアーキテクチャの中で自分に返ってくる、自分の行動と世界が混在しているものの中から、もう一度自分を獲得するということになるはずなのです。これについては第一夜で説明しましょう(「人工知能のための哲学塾」p21〜参照)。 ハイデガーがよく出す例に、金槌と釘があります。金槌で釘を打っていると、自分と金槌が一体になって、しまいには釘まで一体になって運動を続けていくとい. 人工知能のための哲学塾(三宅陽一郎):ビー・エヌ・エヌ新社)「人工知能は、いつ主観的世界を持ち始めるのか?」本書はこの問いを巡って、人工知能を成り立たせるための哲学・思想的背景(工学やコンピュータサイエンスではなく)について、ゲームai開発者として数多くの実績のある. で、哲学的な知識は役立つときに使えば、くらいでいいんじゃないですか。 問いが1番、2番目に知識ですよね。さっきの警察の話はこれが逆転しちゃっています。 「知能とは何か」という問いが生まれて、「人工知能にふさわしい知能って何かな」と考え、デカルトが参考になりそうだから読んでみる。そしてそれを実際に使うというのが正しい姿勢ですね。 自分に哲学は必要がないと考える人はいっぱいいます。なぜかというと、自分は今、完全に自由に思考できるって思ってるからです。 「俺は自由に考えたいんだ」というのはわかるんだけど、実は、われわれは既にいろんな考えに囚われている。だから、鎖を断ち切らないといけない。 そのために、哲学書や哲学の知識は必要? 例えば、みんなデカルト哲学のフレームの中に人工知能があることを知らないし、人工知能を「考える存在」だと思い込んでいる。これが見えないと、いくら自由に考えているつもりでも、実はすごく狭い。そのときに知識は、恐れを断ち切ってくれる。 残念ながら自分ではなかなか断ち切れないから、哲学書を読んで「あっ、そうかあ」「俺は今まで狭いところにいた!」みたいな。 知識は人を自由にするんですね。一番、おお!って思ったエピソードありますか? デカルトの『方法序説』の冒頭、「理性は誰でも持っているもので、それを正しく使えば誰でも真理にたどり着くことができる」という1行はすごく衝撃的でした。真理って賢い人が修行を積んで到達するイメージだったけど、「理性があれば誰でもできますよ」って。そこからデカルトに傾倒していきました。 その次に出会ったのがフッサール。「いや、デカルトが作った学問体系も狭いんだ。まずは経験が大事だぜ」と言ったのがまたまた衝撃的。知識を得ることで、今まで見落としてきたことがわかって、視野が2倍くらい広くなるわけですよ。 衝撃っていいですね。「哲学は驚きから始まる」ってプラトンの時代から言われてます。 自分が囚われている範囲を広げたい。多分、フッサールもいつか乗り越えられないといけないと思うんですよ。フッサールよりもさらに広い哲学があるはずで、そこが次の人工知能の基礎になるはずです。. ゲームで使う知識表現にはいろいろありまして、その中に「依存グラフ」があります。たとえば、軍隊を作るには鉄と訓練所が必要で、訓練所を作るには人と木が必要だと。これはテックツリーとも言いますが、このプラットフォームを人工知能が認識することで、「軍隊が必要だ」となると、必要となるいろいろなものを自分で集め始めるわけです。 「意味ネットワーク」は言葉の間の関係を表し、「敵表現リスト」は敵の心理学的脅威を表現しています。もうひとつは「世界表現」(World Representation)という話があります。これは環境に対する表現です。 ここでちょっとまとめますと、生物とカメラの「視る」はどう違うのかというのが知能を考えるヒントになります。カメラは無機的な存在で、生物の眼は身体と結びついて何かを見ている。カメラは持ち主が視るものですが、視るものはカメラの画像です。一方、生物の眼は持ち主が能動的に視るもの。何を見ているかというと、作用空間と知覚空間です。いろいろな違いが明確になっています。 先ほどの「世界表現」が何かというと、この世界全体の環境に対して、どういう表現をするかということ。ゲームの中のいろいろなマップはユーザーには見えませんが、人工知能のいろいろな指標が埋め込まれています。 たとえば、「LOSマップ」(可視化領域)の情報は、そのポイントの周囲で自由に歩ける領域情報のことです。「Halo2」(Bungie, )ではテリトリーとしてその陣営が支配する複数の小さな領域が定義されており、あるいは「Assassin’s Creed」(ubisoft, )では、歩ける領域を示すナビゲーションメッシュの上に、さらに詳細な歩ける位置を示すウェイポイントをたくさん作っています。。「Killzone2」(Guerrilla Games、)の場合は、その場所における敵の勢力を表す領域マップ(インフルエンスマップといいます)に敵の脅威をリアルタイムに書き込むことができます。 こういうふうに指標を世界に埋め込むことでゲームAIはどんどん賢くなる。いろいろな埋め込み方、いろいろな指標の立て方があって、それによってキャラクターが動きます。それが世界表現です。 加えて、「オブジェクト表現」というものもあります。これは、モノに対する表現です。たとえば、ドアのレバーを引くと. 4 東洋哲学篇. 人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇 - 三宅陽一郎のページをご覧の皆様へ HMV&BOOKS onlineは、本・CD・DVD・ブルーレイはもちろん、各種グッズやアクセサリーまで通販ができるオンラインショップです。. 年5月28日セミナー講演ビデオです 【スライド資料はこちら】 これまで人工知能は推論、検索、学習など、いろいろな機能に着目して人間が持っている知的機能をソフトウェアに写し取る、ということをしてきました。そうではなく、環境との関わりの中で人工知能をとらえようという、という姿勢が、生態学的人工知能です。 60年前だったら、これは何を言っているかわからないと思います。テレビゲームみたいなゲームの世界もなく、コンピュータはまだ大型機(メインフレーム)しかなかったわけですから。こういう発想が出てくるのは、コンピュータの世界の進歩をだいぶ長い間待たなければなりませんでした。しかも最近になって、テレビゲームが進化したり、バーチャル空間が出てきて、人工知能に、人間と同じ物理世界を与えたり、あるいはインターネットみたいにネット空間を与えることができるようになりました。 いまなら、これまで認知科学、生態学的認知科学などが培ってきた知見を人工知能に取り入れることができます。僕は年にCEDEC(ゲーム開発者向けカンファレンス)で「生態学的ゲームAI論」という講演をしまして、その知見を使って作ったゲームもあります。 もう一度、人体図に戻りましょう。脳の中心の部位は身体とつながっていて、それによって脳から身体にいろいろな神経系がいき渡っています。脳は常に身体とともにあり、身体は環境とともにあります。脳というものを環境と一緒に考えるのは極めて自然なことなのかもしれません。 続いて、意識と無意識の部分について立ち戻ると、いままで見てきたのは意識的な知性です。ここでは無意識の部分について話していきたいと思います。.

人工 知能 の ため の 哲学 塾 人工知能のための哲学塾 三宅陽一郎著 ビー・エヌ・エヌ新社,. 人工知能のための哲学塾 第5夜「メルロ=ポンティと知覚論」 - YouTube 人口知能のための哲学塾. ! デカルトのずっと前、紀元前300年くらいにアリストテレスという哲学者がいて. 人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇 人工知能のための哲学塾 人工 知能 の ため の 哲学 塾 未来社会篇 〜響きあう社会、他者、自己〜 人工 知能 の ため の 哲学 塾 発売日 年8月11日 年9月29日 年12月24日 年4月20日 年7月21日 判型 a5判 a5判 b5判変型 a5判 a5判 ページ数 320ページ 288ページ 136ページ 384ページ.

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